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治療選択の明暗

司会者の小倉智昭氏(76)が昨年、腎盂がんと診断され左腎の全摘手術を受けていた。さらに今月から周囲に広がったがんに対する治療に入るという。

振り返れば小倉氏は2016年に膀胱がんを公表し、18年に膀胱を全摘出手術。2022年、肺への転移が判明し、抗がん剤(キイトルーダ)を受けていた。その副作用と転移による腎盂がんを発症し、昨年12月に左腎臓の全摘手術を行なった。

彼の主治医からは肺転移とほぼ同時期に腎への転移もしていたと言われたという。となれば、2016年の膀胱がん初発時に既に筋層に達していた事から全摘を勧めた主治医に、男性機能喪失が嫌で内視鏡による除去手術(TUR-Bt)とBCG膀注療法を選択したのはどうだったのか。

そこから膀胱全摘に至る2年間の間に民間療法も含めた自称最先端(?)治療を受けていたらしい。結局はその間に膀胱がんの悪化と共に肺と腎への転移が形成され、遅まきながら膀胱全摘を余儀なくされたという事であろう。

私の膀胱がんも2013年だったので、彼とほぼ同時期だったが、幸いにも腫瘍が筋層までは達していなかったため、彼の場合と同じTUR-BtとBCGにより再発一回で凌げている。それでも再発時に受診した病院の医師からNCCNガイドラインを示しながら全摘の可能性を告げられた時には相当凹んだ。

彼はお金は十二分にあったので、全摘の選択が示された標準治療よりも特別な治療(民間治療など)が存在し、それが自分には有効だと信じて大金を払って受けていたと想像できる。しかし、あの小林麻央さんのように遅きに失した感は否めない。

膀胱全摘後には排尿ストーマではなく、小腸を利用した人工膀胱による健常人と同様の尿道経由の排尿が出来るとTVで言っていた。但し、それは尿意を感じないため1時間毎にトイレに行かなければならない事と尿失禁対策で尿漏れパッドも装着する必要がある事から、それはそれでかなり不便と言わざるを得ない。

その3年後に肺転移が見つかり、さらに1年後に腎盂がんが見つかるところからも、膀胱外部に浸潤した膀胱がんは内側に留まっているものよりも遥かに恐ろしいと改めて感じた。

俳優の松田優作氏も膀胱がんを相当我慢して手遅れになったというが、やはり早期発見・早期治療に勝るものはないと実感する。

最先端治療と呼ばれるものやさまざまな民間療法がなぜ標準治療として取り上げられていないかを考えて治療選択する基本的な知識も患者側には必要な事だろう。海より深い後悔をしないために。


旅行3連発❗️

3回目のEISから半月余り。ここへ来てようやく食道狭窄が軽減し、普通の食事もほぼつかえる事なく食べられるようになった。ゲップも自然に出るようになったので食後も楽になった。

週2回ほどの仕事も7日から復帰し、1日8時間の立ち仕事に足の筋力の衰えを自覚しつつも何とかこなしている。この歳になると3週間に及ぶ入院生活は筋肉も減り、食事量も減る。ま、だからダイエットには良い機会なんだけど。

・・・・・・・

さて、今回の入院治療に耐えたご褒美なのか、3〜4月で旅行の企画が持ち上がっている。いずれも1〜2泊の短期国内旅行だが、リフレッシュするにはちょど良いかもしれない。

3月は湯河原へ温泉ドライブ旅行。これは年2〜3回カミさんと企画しているもので、日頃のストレスや疲労を解放してのんびりする事を重視している。観光にはあまり力を入れず、早めに露天風呂付き客室にチェックインして温泉三昧としけ込む。

4月は大学時代のクラブの先輩達との信州のコテージへ温泉&麻雀旅行。前回は私の体調不良によりドタキャンしてしまったので、今回は特に気合を入れている。コテージなのでギターを持って行って、順番待ちの時にはあの頃の70年代フォークを弾き語る。

もう一つは製薬会社時代の同僚から誘われて札幌旅行。ここには大変懇意にしている寿司と中華が合体したお店があって、札幌出張時の定番にしていた。退職前にも同僚達とお別れを言いに行ったけど、気がつけばあれからもう8年以上も経っていた。

お店のおいちゃんおばちゃんも元気だと聞いているので、この先何度札幌へ行けるかわからないし、いい機会になるだろう。ついでに初めての小樽にも足を伸ばそうと思っている。

辛さが終われば今度は楽しみの番だぜ。



苦労しました

さて、食道静脈瘤硬化療法(EIS)の効果判定の25日。いつもと同じように予定時間に遅れてスタート。これまたいつも通りに鎮静剤にて即落ち。

目覚めた時は食道部に明らかなシコリというか腫れを感じた。

「検査で良好なら3回目の注入なしで退院へ」

なんて言ってた若手Dr、退院どころか3回目の注入もしっかり(多分1、2回目よりも多量に)入れたに違いない。

おかげでその夜はゲップが出せない、時折吐き気(二日酔いの時のような)はするが何も食べてないから何も出ない。食道部の鈍痛も加わって、ほとんど眠れない夜を過ごすハメになった。熱も出てカロナールと制吐剤も落としてもらった。

明けて昼から摂食開始だが、当然固形物はおろか液体を飲み込む時も鈍痛と引っかかりを感じる。2回目までならこの日で治まって通常食も食べられたものが、今回は治らない。

2日目の朝までメイバランスと買っておいた牛乳などで済ませていたら、昼食にあれだけ嫌がっていたお粥が出た。当然食べずにメイバランス。ただでさえ固形物はまだ無理だっての‼️

ついに栄養士登場。メイバランス、ヨーグルト、プリン、ジョアなどを組み合わせたメニューを考えると言う。最初からそれでいいんだけどね。

で、この食道狭窄は日にち薬で改善するだろうと、取り敢えず月曜日に採血して問題なければ退院となるようだ。

しかし、普段何も思わず当然のように使っていた食道という器官の重要性が骨身に染みて分かった。ゲップの通らない辛さ、嚥下時の鈍痛と引っかかりなど、なってみなきゃ分からなかったな。

にしても出血を起こしたわけでもない予防的治療なのに3週間という時間と摂食の苦労を強いられるとは。これも超早期発見の代償なのかもしれないけどね。


穏やかじゃなかった正月

大晦日はこれといった裏番組もなかったので、普段は観ない紅白をBGVにして過ごした。そしてお決まりのゆく年くる年で年が明け、しばしうたた寝。

明ければカミさんの作ったお雑煮や買っておいたおせち料理とは言えないようなオードブル的なものをつまみながらノンビリと。

おそらく日本全国がこうやって同じように元旦を迎えていた事だろう。

そこを襲った能登半島地震。犠牲者はすでに200人を優に超えている。帰省して正月を迎えた家族も多かったろう。中には一度に10人もの家族を失くした人もいたという。よりによって元日に起きるとは。

つい先程まで私と同じように穏やかな元日を過ごしていたはずなのに。被災者は正に天国から地獄に叩き落とされたに違いない。犠牲者の方々には心からご冥福をお祈りします。

そして次の日は、羽田空港で災害支援の為の海上保安庁機が着陸して来た旅客機と衝突炎上事故が起きてしまい、海保隊員5名が殉職した。何という年明けなのか。

この方達も少なくとも正月までは穏やかに過ごしていた事だろうに。合掌

・・・・・・・

さて、私も穏やかな正月ばかりではない。先月発見された食道静脈瘤硬化療法(EIS)のために10日から入院生活に突入した。

思えば40歳過ぎ辺りから、大なり小なり検査を含めた入院が待っていた。

それまでは病院とは商売以外無縁だったのに、気付けば網膜剥離2回、膀胱がん関係で6回、肝がんで1回、そして今回の食道静脈瘤というありさまである。

とはいえ今までの入院治療は手術や検体のサンプリングなどが終われば体調回復を待って退院した、言わば一本勝負だった。ところが今回のEISは、静脈瘤の大きさなどにより、内視鏡で硬化剤の注入を週1回、最大4回まで行なうという長期決戦である。

1回注入して1週間後に同じ手技で患部を診て、必要なら2回目の注入をする。また1週間経ったら同じ事を行ない、効果判定OKなら注入は行なわず退院に至る。外来通院でも出来そうなのだが、万一破裂が起きないよう術後の管理などが必要で、入院が必要との事だった。

なので1週間のうち、手術日以外は暇なのである。暇以上に私にとって切実なのは病院食の存在。入院するたびにあの大嫌いな病院食をいかに回避するかに悩まされる。

消化器系に関係ない場合は医師も看護師もそれほどアレコレ言わないので、おにぎりなどを売店で仕入れてくれば良いのだが、消化器系となると途端に食事にもやかましくなる。当たり前だが。

今回もそれが予想されたので、必死に考えた対応策が特に苦手な重湯やおかゆをメイバランスにスイッチするという策だ。入院初日に取り敢えず10個ばかり持ち込んで看護師や医師に交渉し、何とかOKを取り付けた。ただし、通常食の白飯になったらそちらを優先して食べるという交換条件だった。

通常食になったらこれ幸いと売店でおにぎりやサンドイッチを買って来ようと目論んでいたが、さすがに消化器系、そこまで甘くはなかった。白飯はふりかけで凌ぐ事にした。もちろんオカズは適当につまむだけ。入院ダイエットこれにあり❗️

さて、そんなこんなで一昨日に2回目のEISを行なった。1週間後に3回目注入が必要なければ数日後には退院できるだろうが、3回目注入されるとまた1週間延長となる。こればかりは読めない。ま、予防的治療なのだから仕方なかろう。

次回の効果判定は25日。21日の誕生日がとうに過ぎた頃である。



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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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