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騙し騙しでリフレッシュ

風薫る五月にしては大雨は降るわ真夏日になるわで、まるでどこの熱帯地方だと言わんばかりの気候が続いている。仕事の白衣も昨日からケーシー型の半袖に一足早い衣替えをしたところである。

時代は変わり「令和」が始まった。もちろんだからといって特段日常生活が変わったわけではないが、去年の痛みに苛まれた日々から約半年が過ぎ、ようやく落ち着いたと言える日常を迎えられるようになったのは本当に喜ばしい。

まだ完全に無痛状態とは言いがたいものの、長く続いた排尿後の疼痛もほぼ無くなり、定期検診の採尿でも実にキレイな尿だそうで、尿細胞診もclassⅢで推移している。これは採取した尿中に異型細胞が認められるが悪性と断定出来ないという判定で、主治医T先生曰く「BCGで膀胱をかなり痛めつけて来たからこういう判定もありますね。これだけで良し悪しは言えないし。総合判断だからこの後も尿細胞診と内視鏡検査のチェックはして行きましょう」

このまま騙し騙しでも構わないのでがん細胞との共生状態が続く事を願うばかりである。

とはいえ、未だに基本2〜3時間で尿意を覚えるし、夜間頻尿も午前4時前後に一度やって来る(これを私は午前4時の壁と呼んでいる)。昼間の尿意は仕事が忙しいとなぜかインターバルが延長し、気がつくと前回の排尿から4時間位過ぎている時もあり、あれだけ頻回だった尿意も今やそこまで正常に近づいて来たのかな、でもまだ痛めつけた膀胱は完全に正常には戻っちゃいないだろうから、まぁそんなモンだわなと捉えている。

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自覚症状が安定しているスキにとばかりに、我が家恒例のストレス解消&リフレッシュ企画である温泉ドライブ旅行も順調に実施に移せている。

3月は千葉県南房総の小湊へ、今月は軽井沢経由で嬬恋村へと、去年はほとんど出掛けられなかった仇を取るかのように動いている。もはや病みつきとなり定番化した露天風呂付き客室はもちろん、行き帰りのランチも少しリッチな気分で選んでいる。今回は旧軽井沢の音羽の森ホテルのフレンチランチ。敢えてド定番の万平ホテルを外してみたが、これがまた大正解で、味もコスパも大満足! こりゃリピート確定だとほくそ笑んだ。

リピートと言えば、これまで露天風呂付き客室の温泉宿には20ヶ所近く行って来たが、温泉地のリピートはあったものの、そう言えば温泉宿のリピートはまだ無い。紹介サイトのユーザーレビューには何度もリピートしましたなんて記載もあるが、その人はどういう理由でリピートしているのかが不思議だったりする。

昔、スキーなどで利用したお馴染みの旅館はスキー場へのアクセスや予約の取りやすさなどの利便性の面でリピートするというのは分かるが、固定の場所へ行くのが目的ではなく、車であれこれ自由に動く前提であれば話は別だろう。

私などは、たとえ満足出来たとしても同じ宿に再度行くのなら、まだまだ良さげな未訪問の宿がいくらでもあるから、まずはそこを訪れてみたいと思うのである。そもそもそのエリアの観光スポットをあれこれ忙しく廻るよりも、宿に早目にチェックインして客室露天風呂でノンビリ過ごしたいと考えている。ま、そこは歳取ったせいかもしれないが。

今後も出来れば季節毎には温泉に出掛けたいとカミさんは言うが、それは意外に的を射ているのじゃないかと思う。すでにこの先、何が起きてもおかしくない年代に足を突っ込んでるし、先々に楽しみを作る事でともすれば単調になりがちな日常のモチベーションとするのは大事な作業である。

さて、このまま騙し騙しが続けられてるうちに、いよいよカミさんの親族がいる大分県の温泉巡り企画を真剣に考えてみようかな。




平成てんやわんや

何につけても平成最後の平成最後のとマスコミも騒がしいが、元号なんて人類、いや日本人が勝手に拵えた時間の呼び名であって、世界規模や果ては宇宙規模の時間の流れにゃ全く関係ないといささか斜に構えているのは私だけではあるまい。

ま、それでも平成最後の日がたまたま公休日となり、いやでもそれを意識しつつものんびりと過ごしているのだが、このところ仕事の方ではやたらドタバタ続きである。

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一つは、一時沈静化したものの、またも蠢き始めた万引き。その手口や狙われた商品から、決して一時の気の迷いや出来心なんかではなく、明らかにビジネスライクの「窃盗」である。

特に化粧品や薬品は棚や品物の変動がわかるよう、前出しの徹底や陳列数量を固定しているから、不自然に減っているとすぐに察しが付く。

先々週末はその化粧品がターゲットに。空箱やカード陳列の高級品ではなく、実物陳列をしている普及品レベルのファンデーションなどを根こそぎ。防犯カメラ映像を確認すると明らかに大陸系の人間で、黒っぽい空の大型手提げ紙袋を持って入って来る。今から思えばそれだけで十分怪しいのだが、その後入って来たやはり大陸系の女とグルでやっていた。

その男はウチだけでなく近隣の他店にも出没したらしい。別の日なのに服装も紙袋も全く一緒というのがヤツの所業がルーティン化している事を晒していたから、これはまたウチにも来るなと思わせた。それにしてもコイツらの「根こそぎ」というやり口はホントに怒り倍増である。

果たしてそれは的中した。

今度はその一週間後、私の終業時間の1時間後に男は単独でやって来た。防犯カメラで確認すると、服装もほぼ同じ、大型の手提げ紙袋も全く同じだった。悪い事にはヤツの入店時、店長はたまたま入口横のフロア什器が倒れたのを修復中で目視していなかった。ヤツは店内を物色しどこかへ電話をした後、やおらコンドームを鷲掴みして10種類50個ほどを紙袋に入れて去って行った。

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万引きはこれで終わらなかった。

ある中国人男性客が私にスマホの写真を見せながらその風邪薬の有無を訊いて来た。よくある事なので、その場所を案内した。しばらくしてまた別の写真を見せて訊いて来たのでまた案内した。

それからしばらくして売り場巡回をしたところ、ふとシミソバカス用医薬品のPB品がコーナーエンドと定番棚から丸ごと消えているのが見えた。おかしいと思い、在庫確認したら大小5つ6つ足りない。おまけに最初に案内した風邪薬も5つほど消えていた。

防犯カメラ映像を確認したら、犯人は私に訊いて来たヤツそのものだった。普通、万引き犯は顔や姿を覚えられることを恐れてスタッフとの接触を避けるものだが、ヤツは笑顔で「ありがとうございます」なんてカタコト日本語で言ってもいたのだ。これでは疑いようもあるまい。

こんな手口もアリだと言うなら、もはやお客さんからいっときも目を離せなくなる。とはいえ、とてもじゃないがそれができる人員体制ではないのはどのドラッグストアでも同じだろうが、本気で防止するならひとえに人員を増やすほか手立てはない。まあ、完全無人レジ店舗にでもなればそれも無くなるだろうけど、それこそいつになるやら。

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二つめは、今年初めから店長が代わり、前店長よりも若い店長(正式には副店長)が赴任して早や4ヶ月が経とうとしている。前店長は一見ノホホンとしているように見えて、実は色々と細かな気遣いで仕事をこなすタイプだったが、新店長は見るからにいっぱいいっぱいでとても仕事ぶりを認められて事実上の店長職に抜擢されたとは思えないタイプ。早々とベテランパートスタッフ達からもダメ出しされている。

スタッフに店長に次ぐ2番手社員のSさん(正社員は店長とSさんの二人のみ)がいる。新旧店長よりもかなり年上にもかかわらず、前店長からは何かにつけてダメ出しされていたのだが、面白いもので今度は新店長がスタッフからダメ出しされているので、いつの間にやら相対的にSさんは頼れる存在となっていたのだった。

そのSさんが来月から異動になった。

どうやら異動先の社員の退職による玉突き人事の一環らしいが、Sさんがウチの店に来たのはまだ1年半前なので私とそれほど変わらない。そして彼の自宅からは今より遠い店舗となるのも異動あるあるだった。

代わりに赴任して来るHさんは見るからにオッサン顔で、何とウチの親会社のドラッグストアで10年、そこから24時間営業などで話題のドラッグストアへ転職して数年してウチへと来たと言う。しかも配属された店舗でわずか半年勤務後の異動だそうだ。

この業界に限らず、いわゆるキャリアアップとの一つとして収入アップを目指して動くというのはあり得る話だが、彼の辿ったルートなら2社目までで十分なゴールのはず。そこから敢えて収入ダウンとなるウチへの転職は、それとは別の理由があると想像される。また、前店勤務からわずか半年で異動となった事もワケあり臭プンプン… 。

もちろん、人を見かけや憶測で判断してはならないから、彼には大いなる期待を寄せておきたい。

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そんなこんなで、ここへ来てまさに平成てんやわんやである。

退位(正しくは譲位)される天皇陛下は昭和8年生まれで、私の両親の一年下の昭和ヒトケタ真っ只中世代である。

昭和天皇の昭和という時代の負の遺産と向き合われ、その重圧を日々一身に背負いながらの被災地訪問や慰霊の旅を踏まえた公務は、想像以上に過酷な日々だったのだろうと察する。

退位礼正殿の儀で退位が正式に確定されるようだが、明日からは文字通り重荷を下ろされ、心身共に穏やかな日常を迎えて欲しい。天皇皇后両陛下の願って来た国民の安寧はあまねく国民に十分過ぎるほど伝わったし、今度は国民が両陛下に安寧の日々を過ごして頂きたいと切に願っている。




ショーケ〜ン!

3月17日に79歳で逝去したロケンロール内田裕也に続いて、昭和の異端を象徴した萩原健一がGIST(消化管間質腫瘍)のため、26日に都内の病院で死去していた。68歳だった。

ど真ん中世代の我々には、萩原健一というよりも何と言ってもテンプターズ時代から「ショーケン」だ!

1960年代、グループサウンズ(GS)の中心的グループだったザ・テンプターズのボーカル。代表曲「エメラルドの伝説 」の「湖に〜 君は身を投げた〜」は永遠に歌われ続けるフレーズだろう。

百花繚乱のGS全盛期、ジュリー率いる西のタイガースに対抗して東のテンプターズと言われ、かの吉田拓郎の「青春の詩」で「ジュリー! ショーケン! キンちゃーん! … ああそれが青春 」と歌われた事でも有名。

その後、ジュリーとツインボーカルをやった「PYG」を経てソロ歌手としても活動。活動期間が短かった事もあって、残念ながらその頃の曲はあまり覚えていない。

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だが、彼の本当の転機は俳優だった。「約束」という映画で、降板した俳優の代役として出演した事がそのスタートだった。その後、活動の幅はテレビドラマに広がった。

まずは言わずと知れた「ボス」故・石原裕次郎主演の七曲署を舞台とした刑事ドラマの「太陽に吠えろ!」1972年〜

ショーケンはGS時代そのままの長髪にスリーピースという型破りのマカロニ刑事役だった。

初回から出演し、最後は負傷した同僚刑事ゴリさん(竜雷太)の見舞いの帰り、立ち小便の直後に小銭狙いの通り魔に刺されて落命という、その後のゲスト刑事役に繋がる意外な絶命スタイルのハシリとなった。

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続いてショーケンがヘッドフォンをしながら牛乳をガブ飲みしたりコンビーフを缶のままかぶりついたりと粗雑に朝食を食べ続ける強烈なオープニングで始まる「傷だらけの天使」1974年〜

ショーケンは探偵事務所の調査員木暮修役。その弟分の乾亨役を水谷豊が演じ、「アキラ」「アニキー」の掛け合いが、当時のモノマネの定番だった。

ロケ地である代々木駅前にあった「代々木会館」は私の勤めていた会社の近くだったのでよく見に行った。外観はまるで禁酒法時代のアメリカや香港にあった九龍城を彷彿とさせる茶色と白の雑居ビルで、そのペントハウスでオープニング映像が撮影された。

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さらに、倉本聰の脚本で有名な「前略おふくろ様」1975年〜

東京の下町深川を舞台にした、照れ屋な板前の青年をショーケンが演じ、周囲の人々との触れ合いを描いた青春ドラマ。

当時まだ無名だった桃井かおり(恐怖の海ちゃん!)と故・川谷拓三を知ったのもこのドラマだった。故・梅宮辰夫が熟練の渋い板前役に初挑戦していて、それまでと打って変わった無口で、実にいい味を出していた。

番組タイトルは、主人公が母親宛に書き綴る手紙の冒頭で、劇中のナレーションもショーケンがその手紙を読む構成で、これはそのまま純が一人語りする「北の国から」へ受け継がれた手法という。

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こうしてみるとショーケンは歌手としては勿論だが、それ以上に俳優として燦然と光り輝いていたなと思う。間違いなく彼しか出ない色気があり、それが役柄を通して強烈な存在感を打ち出していた。だから観る者に忘れられないインパクトを与えるのだ。

それとは逆に私生活では、いしだあゆみらと4度の結婚、大麻や恐喝などで4度の逮捕と、まさにアウトロー的な生活を送ったりもしていた。

だが、世間はそんな彼を切り捨てずに寛容にも受け入れて来たし、それが許された時代でもあった。

それを良くも悪くも「昭和の匂い」と表現し、その匂いがまた一つ失なわれた事に残念至極と嘆く我々もまた「昭和の匂い」の一部なのだと思わされるのだった。合掌





そしてレジェンドへ

「キャンプ終盤で結果を出せず、それを覆す事が出来なかった。今日の球場でのあの出来事、あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」

そう語ってイチローは引退した。

3月21日、MBL開幕アスレチック戦の2連戦が行われた東京ドームが現役最後のステージとなった。

「去年5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にも出来ない事かもしれないというような、ささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。その事がどの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てた事かなと思います」

その言葉に自身の限界に挑戦し、その限界を知らされたキャンプから今シーズンの苦悩の日々を物語っていた。その日々の中で日本での引退を決意したのかもしれない。

「結果を残すために自分なりに重ねてきた事。人よりも頑張ったという事はとても言えないですけど、そんな事は全くないですけど、自分なりに頑張って来たという事は、はっきり言える」

世界に誇る偉大なプレーヤーはこういう事もさらりと言う。

「人より頑張る事なんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤は自分の中にある。それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えて行くという事を繰り返して行く。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えて行けないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない」

「難しいかもしれないけど、言葉にして表現する事というのは、目標に近づく一つの方法ではないかなと思っています」

それを続けるという事が如何に難しく、そして凄い事か。

「孤独を感じて苦しんだ事は多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、辛い事、しんどい事から逃げたいと思うのは当然の事なんですけど、でもエネルギーのある元気な時にそれに立ち向かって行く、その事は凄く人として重要な事なのではないかなと感じています」

ああ、一見クールで求道的な雰囲気一杯と思っていたイチローは、我々と同じように悩み苦しみ、それでも自分の限界を超え続けながらそれらを克服して結果を積み上げて来たんだなあ。

やっぱり彼は超一流のプロフェッショナルだ。歩んだ道には彼に相応しい偉大な記録という足跡が鮮明に残っている。

オリックス時代、1994年に史上初の210安打を記録し、シーズン打率3割8分5厘をマークしてから2000年まで何と7年連続首位打者。

2001年にシアトル・マリナーズでMBL挑戦がスタートしたが、いきなり242安打のメジャー新記録、3割5分を打って首位打者、盗塁王(56盗塁)になり、新人王とMVPを獲得した。

フィジカルがモノを言うメジャーのパワーベースボールにスピードとしなやかさを武器にしたICHIROがMBLに衝撃をもたらした瞬間だった。

そして2004年、前人未到の262安打、打率3割7分2厘を含めて2010年まで10年連続200本安打の不滅の大記録を打ち立てた。

2009年の第2回WBCでスランプに苦しみながらも決勝の韓国戦の10回表に遂にタイムリーヒットを放ち、決勝点を奪って2連覇を決定付けた事も印象深い。

プロ野球現役28年、メジャー現役19年。日米通算3406試合出場(1位)、4367安打(1位)、235本塁打、1309打点、708盗塁、打率 .322 。

45歳、平成を駆け抜けたスーパースターはその最後の年にレジェンドとなった。





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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