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OTC薬剤師の存在価値

先日、フォローさせていただいているアカウント(@kuriedit氏)にこんな内容の記事が掲載された。

『「市販薬に本腰を入れている薬剤師が少ない」「専門家ほど記事を書きにくい」「世間の関心が集まりにくい制度」

決して市販薬の情報の需要がないわけではないのです。需要はあるけど供給されにくい。情報の総量が少ないので問題点が可視化されない。なので、情報の総量を増やす事に努めてます』

テーマが市販薬(OTC)を扱う薬剤師を対象としたものだったので、これは良い機会と思い、日頃から感じていたOTC薬剤師の存在価値なるものについて以下のようにリプさせていただいた。

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(ここからリプ)
OTC薬剤師の存在価値について、思いつくまま書いてみました。

①市販薬の範囲ではあるが、患者の病態によって適切な治療提案と薬剤の選択・推奨が可能な、ある意味「医師的な仕事」が出来る。

②調剤薬局の薬剤師に比べて患者サイドから見た敷居が低い。距離的にも患者に極めて近い位置に常在するため、患者にとって相談や質問がしやすい「手の届く存在」である。

(以上、リプは②まで。③はブログにて書き足し)
③患者は相談したい、訊きたい事があるからOTC薬剤師へ接触するので、初めからコミュニケーションをする姿勢が出来ている。だから的確な治療提案や情報が得られれば「感謝される立場」となる。

(そしてまとめリプ。加筆修正あり)
でも現実は、DgSにありがちな売上・粗利の追求に軸足を置いている薬剤師ならぬ「薬剤屋」(または「薬売師」)がいたり、逆にお客さんとのコミュニケーションには消極的な「いるだけ薬剤師」がいたりします。

どちらにしても、本人に医学や医療用医薬品に対する知識や経験が不足してる場合は、患者のニーズを満たせる病態・診断・治療への提案力が十分とは言えず、そういう薬剤師は決して少なくないという問題点があります。

市販薬の情報開示や提供にも問題があると思いますが、それを扱うOTC薬剤師側にもその資質を含めた問題・課題があると感じる事が多いですね。

調剤薬剤師と比べてOTC薬剤師は格が下だのという見方も一部にあるようですが、見方を変えれば逆に調剤薬剤師以上のクォリティの高い仕事も出来ると思っています。

リプはここまで。

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Twitterは字数に制限があるため、長文の場合は連投となるが、これ程まとめて連投してのは初めてだ。そして短時間にここまで考えがまとまり、スッキリしたのも初めてだった。

OTC薬剤師がその存在価値を十二分に示すためには、前述の条件を可能な限り満たす必要があるだろう。そのためには若いうちは医師や医学に触れる環境に身を置き、人生の後半あたりで、培った知識と経験を活かすOTC薬剤師となるルートが効果的だと思う。

そんなOTC薬剤師なら薬剤師人生の2ndステージもきっと充実したものになるに違いない。現に私は発注、品出し、メンテナンスなどの物理的作業もなんのその、それ以上にお客さんへの治療提案を通して日々充実しているから。(^_^)v




行けるとこまで長らえよう

半月前に尿検査を行なった外来の際、その前のCTの結果、そして膀胱内視鏡を踏まえ総合判断をしたいと言う主治医のT先生。

「では、内視鏡は尿細胞診の結果が出る一週間後か、もう一週間待った二週間後のどちらがいいですか?」

と訊かれ、「一週間後と二週間後と訊かれれば、そりゃあ先の方がいいですと答えますね (^^;) 」

というワケで一年ぶりの膀胱内視鏡検査が今日。検査自体に痛みはさほどないというのは頭で分かっちゃいるけど、アソコにモノを突っ込むというのがどうにも合点がいかないのでやっぱりそこそこビビってたけど、検査自体はものの数分で終了。

そして結果発表。

内視鏡を見ながらT先生も「表面もスムースで綺麗な感じですね」と言っていたけど、改めてその画像を見ても特に問題点もなく、尿細胞診もclassⅢでまあ問題なし。

先日のCT画像も踏まえ、「これならこの先は尿細胞診で追っていけばいいかな。少なくとも全摘する膀胱の状態ではありませんから」とのホッとするT先生の言葉だった。

それでも、もし悪化が認められ治療の必要性が生じた時には、何度も悩まされたキツい痛みを経験させられるよりも、取っちゃう方を選ぶ覚悟はしていますとは言った。そうしたら「むしろその方が楽でしょうね」と。やっぱそうだよな。

まあ、この先どこまで長らえるかは知らないが、このまま完全に痛みが無くなれば楽な日々を送る事が出来そうである。

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何かにつけ良い事やお祝いがあると行く四谷のミクニから始まって、新宿の天ぷら、高島屋の小樽寿司に中華、江戸川橋の天丼、タカノのイチゴパフェ、誕生日には目白の和食(これは晩餐)、そして先日の東京タワーの麓のイタリアンと、カミさんと休日が合えば食べてる外食ランチ。

今夜はランチじゃないけどまあいい。さて、どうする? (^^)





明けても速し新年かな

あっという間に過ぎ去った一年が明けてはや4日、予定通り通常勤務に復帰した日々を送っている。今年は公休日の関係で正月は大晦日と元旦の連休となったが、2日3日は連勤となり、毎年往路をのんびりと観られた箱根駅伝もスタートから1時間程度しか観られなかった。

5連覇を目指した常勝青学が4区5区でコケて東洋大が往路優勝、復路はその東洋大が東海大に逆転され、総合優勝をさらわれた。青学は復路優勝の快走をしたものの総合2位に終わった。東海大は10時間52分09秒の大会新記録で初優勝。

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年末に向かって売り場を整え、最後の発注を完了し、品出しは応援の先生方のサポートにより滞りなく終えられた。最後まで感謝感謝だった。

2日の仕事始めは公休日だった大晦日に売れた品を補充する程度と思っていたが、これが結構な品数となっていて、結局150品目オーバーの発注となっていた。その品出しは今度は私自身で行なうので、在庫や品物の動きがようやく自分の視界に入る体制に戻った事にはホッとしている。

また、今年も私の休職中から年末までに本部からの送り込みが何度もあり、思わぬ物の在庫が見つかったりして、時に発注とダブってしまった事もあったので、それもスッキリするだろう。

もう一つ、棚落ち品や期限切迫品の返品作業。これまでH店長は一覧表を作成して本部担当者にFAXしては指示を仰ぐという、良く言えば原則遵守、悪く言えば時間の無駄となる手順をいちいち踏んでいた。他の店では返品不可品などの場合以外は特に指示を仰ぐ事をせずルーチンに返品作業をしているのがほとんどなので、たびたび歯痒い思いをしていたが、今回、そのH店長が転勤となった。

店長は2年程度で異動となる事が多いようだが、H店長はこの店に4年も勤務していた。本人もいい加減動くだろうと言っていたものの、夏の異動でも公示は出なかった。それが年末になっていきなり出た。異動先は彼の自宅から今よりも遠くなるが、店の広さはよりコンパクトとなりスタッフ数も不足はないそうだ。ただし免税店だそうで、その点はかなり面倒だと。

H店長は私の調子の悪い時期や休職中に色々と迷惑を掛けた時でも常に暖かい言葉をいただき、お陰で安心して自宅療養に専念出来た恩人である。30日の勤務終了時には精一杯のお礼の言葉と心ばかりの品を進呈して別れたのだった。

これまで職場で接して来た店長はこれで3人。いずれも人柄は良く、コミュニケーションも良好だったから、私の職場環境はつくづく恵まれていたと思っている。今度はより若い店長(取り敢えず副店長で着任)となるようだが、同じように期待している。

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次回の尿細胞診のための採尿は18日の外来日、結果を知るのがその一週間後。ここで再び悪性細胞が検出されればいよいよ覚悟の時も近づくのだろうが、その覚悟は前回の時から出来ている。

今でも勤務中にシクシクジンジンは出ているので、極期の悪魔の時間帯を含むこれらの痛みが無くなるのであれば、またガッカリ至極の再発リスクが無くなるのであればストーマライフも決してマイナスではないと既に自身で結論付けている。だから問題はその時期がいつになるかというだけである。願わくば今のシクシクジンジンが収まり、せめて半年位は無痛の快適な生活を味わった後にしたいと思っている。



大山鳴動

膀胱がんの初発から足掛け6年。その間に表在性から上皮内へと移行したものの、都合四度の内視鏡手術(TUR-Bt)と二度のBCG膀注療法で何とかここまで凌いで来た。

今年1月に受けた最後のTUR-Btにて上皮内がん(CIS)が判明し、もはやTUR-Btは有力な治療ではなくなり、残る治療はほぼBCG膀注療法のみとなった。

5ヶ月間も強い痛みに苛まれた前回の轍を踏まぬよう、今回はBCGによる副作用である膀胱痛などが収まるのを待って慎重に実施回数を重ねたが、8月下旬の4回目を最後に9月下旬頃から強い痛みとの闘いに突入した。痛みとの闘いは10月、11月と続き、10月は数日出勤しただけで終わり、11月は遂に丸々休職へ追い込まれた。

休職中はまるで判で押したようなひたすら安静のみの、今までの人生で経験した事のないほど単調な日々を送ったが、それでも12月には職場復帰に至り、取り敢えずリハビリを兼ねて週3日勤務体制でスタートした。

久しぶりの8時間の立ち仕事。足腰のフィジカル面に問題はなかったが、排尿後にシクシクジンジンの鈍痛が現れた。それでも仕事に大きく支障は来さない程度だったので、この調子なら年明けからは完全復帰が出来る見込みが得られたと喜んだ。

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そして先週の21日、今年最後となるはずだった外来受診で尿細胞診の結果が告げられた。BCG膀注療法の副作用である頻尿、排尿時痛、膀胱痛の三点セットはまだ少し残っているものの、いやそれがあるからこそ免疫反応が持続してclassⅡ(非悪性)をキープしているはずだった。

主治医のT先生は、いつもと違って一瞬の沈黙があったなと思った後、静かにclassⅣという結果を口にした。それは悪性細胞が強く疑われるという「クロ宣告」に他ならなかった。つい1ヶ月前までの尿細胞診ではclassⅡと安定していたのに、いきなりこれである。

瞬間、こんな時よく言われる「目の前が真っ暗になる」というのはウソで、見えている景色にボーッと白い霧のようなものが立ち込めたというのが正直なところだ。どうあれ、ショックと絶望感にガツンと殴られた感触を受けたのは違いない。

次週、転移の有無を確認するために造影CTを実施する運びとなったが、もはやそんな検査はどうでもよかった。頭の中で渦巻いていたのは「まだ痛みが癒え切れていないのに再びBCG膀注療法を始めるのは無理筋。だとすればいよいよ全摘か」という認めたくはない結論をどう受け入れるかという一点だった。

同時に、BCGによる強い膀胱炎症状が出る事が治療反応性の証拠なんだという、今まで抱いていた希望的観測が単なる幻想に過ぎなかったという現実を突き付けられた形となって大いに絶望した。

ともあれ、次週のCT検査の後に今後の治療について検討するという事でこの日の外来は終わったが、もはや実質検討すべきはどこの病院で全摘手術を受けるかだろう。

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そしてその日が来た。

カミさん同行で病院に向かい、造影CTを終え、泌尿器科外来にて呼び出しを待つ。初めての造影剤は点滴ルートで投与されたが、投与間もなく首筋から手の先、果ては肛門あたりまですぐに熱くなって来たのがわかる。

これが前社の研修の時、疾患の検査でたびたび触れて来た造影検査の感触というものか。これまたここでリアルに体験するとは思わなかった。

CTの結果は予想通り肺から腎臓までどこにも転移はなく、膀胱も滑らかな形状を保っていて浸潤なども認められなかった。例によって数値のよろしくない肝臓の一部が写ってなかったのはご愛嬌。(^^)

カミさんがいたからいつもより多弁な画像解説を終えたT先生。
「これですぐにBCGとは行けないし、次の手はどうするかですね」

「先生、今回の尿細胞診のclassⅣは、例えば検査誤差とか気の迷いとかの可能性ってありますかね?」

「まあ、膀胱はそれなりに傷んでいるでしょうから異常な細胞もあったかもしれません。次回、来年の中旬頃に尿細胞診しましょう。春までには膀胱内視鏡検査もやりたいですね」

「はあ。実は私はもう全摘も覚悟…」

「まあ、しばらくこんな風にだましだましで行ければと。はい、では今年はこれで終わりです」

…おいおいおい、せっかくそれなりの悲痛な覚悟で来たというのに。これじゃ検討も何も、悲惨でも何でもないじゃないの!

わざわざカミさんまで連れて来て、見事に拍子抜けとなった外来はこうして終わったのだった。

結局、次のステップの検討や選択はお預け。考えてみれば、T先生としてもまだこんな段階で全摘手術依頼の転院なんてさせようモンなら、逆に紹介先から見識を疑われかねないのかもしれないなんて想像もした。

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ふと気が付いたが、この病院の最終診療日である12月28日は、去年まさにこの日ここでカミさんの婦人科手術が行われた日でもあった。夫婦揃って病院の太ーい客だなと笑ったっけ。

あれからもう一年が過ぎたのか。どうにもつい数ヶ月前だったという感触しか湧かない。振り返ってみれば、昨年末から今年一杯はカミさんや私の入院手術から始まり、再びBCGの副作用に悩まされて終わった、我が家にとってまさに天中殺のような一年だったな。

結局のところ、まだ悲観したり覚悟を決めたりするには早過ぎたようだ。てんやわんやしたのは私の心の中だけだったのかもしれない。




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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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