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明けても速し新年かな

あっという間に過ぎ去った一年が明けてはや4日、予定通り通常勤務に復帰した日々を送っている。今年は公休日の関係で正月は大晦日と元旦の連休となったが、2日3日は連勤となり、毎年往路をのんびりと観られた箱根駅伝もスタートから1時間程度しか観られなかった。

5連覇を目指した常勝青学が4区5区でコケて東洋大が往路優勝、復路はその東洋大が東海大に逆転され、総合優勝をさらわれた。青学は復路優勝の快走をしたものの総合2位に終わった。東海大は10時間52分09秒の大会新記録で初優勝。

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年末に向かって売り場を整え、最後の発注を完了し、品出しは応援の先生方のサポートにより滞りなく終えられた。最後まで感謝感謝だった。

2日の仕事始めは公休日だった大晦日に売れた品を補充する程度と思っていたが、これが結構な品数となっていて、結局150品目オーバーの発注となっていた。その品出しは今度は私自身で行なうので、在庫や品物の動きがようやく自分の視界に入る体制に戻った事にはホッとしている。

また、今年も私の休職中から年末までに本部からの送り込みが何度もあり、思わぬ物の在庫が見つかったりして、時に発注とダブってしまった事もあったので、それもスッキリするだろう。

もう一つ、棚落ち品や期限切迫品の返品作業。これまでH店長は一覧表を作成して本部担当者にFAXしては指示を仰ぐという、良く言えば原則遵守、悪く言えば時間の無駄となる手順をいちいち踏んでいた。他の店では返品不可品などの場合以外は特に指示を仰ぐ事をせずルーチンに返品作業をしているのがほとんどなので、たびたび歯痒い思いをしていたが、今回、そのH店長が転勤となった。

店長は2年程度で異動となる事が多いようだが、H店長はこの店に4年も勤務していた。本人もいい加減動くだろうと言っていたものの、夏の異動でも公示は出なかった。それが年末になっていきなり出た。異動先は彼の自宅から今よりも遠くなるが、店の広さはよりコンパクトとなりスタッフ数も不足はないそうだ。ただし免税店だそうで、その点はかなり面倒だと。

H店長は私の調子の悪い時期や休職中に色々と迷惑を掛けた時でも常に暖かい言葉をいただき、お陰で安心して自宅療養に専念出来た恩人である。30日の勤務終了時には精一杯のお礼の言葉と心ばかりの品を進呈して別れたのだった。

これまで職場で接して来た店長はこれで3人。いずれも人柄は良く、コミュニケーションも良好だったから、私の職場環境はつくづく恵まれていたと思っている。今度はより若い店長(取り敢えず副店長で着任)となるようだが、同じように期待している。

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次回の尿細胞診のための採尿は18日の外来日、結果を知るのがその一週間後。ここで再び悪性細胞が検出されればいよいよ覚悟の時も近づくのだろうが、その覚悟は前回の時から出来ている。

今でも勤務中にシクシクジンジンは出ているので、極期の悪魔の時間帯を含むこれらの痛みが無くなるのであれば、またガッカリ至極の再発リスクが無くなるのであればストーマライフも決してマイナスではないと既に自身で結論付けている。だから問題はその時期がいつになるかというだけである。願わくば今のシクシクジンジンが収まり、せめて半年位は無痛の快適な生活を味わった後にしたいと思っている。



大山鳴動

膀胱がんの初発から足掛け6年。その間に表在性から上皮内へと移行したものの、都合四度の内視鏡手術(TUR-Bt)と二度のBCG膀注療法で何とかここまで凌いで来た。

今年1月に受けた最後のTUR-Btにて上皮内がん(CIS)が判明し、もはやTUR-Btは有力な治療ではなくなり、残る治療はほぼBCG膀注療法のみとなった。

5ヶ月間も強い痛みに苛まれた前回の轍を踏まぬよう、今回はBCGによる副作用である膀胱痛などが収まるのを待って慎重に実施回数を重ねたが、8月下旬の4回目を最後に9月下旬頃から強い痛みとの闘いに突入した。痛みとの闘いは10月、11月と続き、10月は数日出勤しただけで終わり、11月は遂に丸々休職へ追い込まれた。

休職中はまるで判で押したようなひたすら安静のみの、今までの人生で経験した事のないほど単調な日々を送ったが、それでも12月には職場復帰に至り、取り敢えずリハビリを兼ねて週3日勤務体制でスタートした。

久しぶりの8時間の立ち仕事。足腰のフィジカル面に問題はなかったが、排尿後にシクシクジンジンの鈍痛が現れた。それでも仕事に大きく支障は来さない程度だったので、この調子なら年明けからは完全復帰が出来る見込みが得られたと喜んだ。

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そして先週の21日、今年最後となるはずだった外来受診で尿細胞診の結果が告げられた。BCG膀注療法の副作用である頻尿、排尿時痛、膀胱痛の三点セットはまだ少し残っているものの、いやそれがあるからこそ免疫反応が持続してclassⅡ(非悪性)をキープしているはずだった。

主治医のT先生は、いつもと違って一瞬の沈黙があったなと思った後、静かにclassⅣという結果を口にした。それは悪性細胞が強く疑われるという「クロ宣告」に他ならなかった。つい1ヶ月前までの尿細胞診ではclassⅡと安定していたのに、いきなりこれである。

瞬間、こんな時よく言われる「目の前が真っ暗になる」というのはウソで、見えている景色にボーッと白い霧のようなものが立ち込めたというのが正直なところだ。どうあれ、ショックと絶望感にガツンと殴られた感触を受けたのは違いない。

次週、転移の有無を確認するために造影CTを実施する運びとなったが、もはやそんな検査はどうでもよかった。頭の中で渦巻いていたのは「まだ痛みが癒え切れていないのに再びBCG膀注療法を始めるのは無理筋。だとすればいよいよ全摘か」という認めたくはない結論をどう受け入れるかという一点だった。

同時に、BCGによる強い膀胱炎症状が出る事が治療反応性の証拠なんだという、今まで抱いていた希望的観測が単なる幻想に過ぎなかったという現実を突き付けられた形となって大いに絶望した。

ともあれ、次週のCT検査の後に今後の治療について検討するという事でこの日の外来は終わったが、もはや実質検討すべきはどこの病院で全摘手術を受けるかだろう。

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そしてその日が来た。

カミさん同行で病院に向かい、造影CTを終え、泌尿器科外来にて呼び出しを待つ。初めての造影剤は点滴ルートで投与されたが、投与間もなく首筋から手の先、果ては肛門あたりまですぐに熱くなって来たのがわかる。

これが前社の研修の時、疾患の検査でたびたび触れて来た造影検査の感触というものか。これまたここでリアルに体験するとは思わなかった。

CTの結果は予想通り肺から腎臓までどこにも転移はなく、膀胱も滑らかな形状を保っていて浸潤なども認められなかった。例によって数値のよろしくない肝臓の一部が写ってなかったのはご愛嬌。(^^)

カミさんがいたからいつもより多弁な画像解説を終えたT先生。
「これですぐにBCGとは行けないし、次の手はどうするかですね」

「先生、今回の尿細胞診のclassⅣは、例えば検査誤差とか気の迷いとかの可能性ってありますかね?」

「まあ、膀胱はそれなりに傷んでいるでしょうから異常な細胞もあったかもしれません。次回、来年の中旬頃に尿細胞診しましょう。春までには膀胱内視鏡検査もやりたいですね」

「はあ。実は私はもう全摘も覚悟…」

「まあ、しばらくこんな風にだましだましで行ければと。はい、では今年はこれで終わりです」

…おいおいおい、せっかくそれなりの悲痛な覚悟で来たというのに。これじゃ検討も何も、悲惨でも何でもないじゃないの!

わざわざカミさんまで連れて来て、見事に拍子抜けとなった外来はこうして終わったのだった。

結局、次のステップの検討や選択はお預け。考えてみれば、T先生としてもまだこんな段階で全摘手術依頼の転院なんてさせようモンなら、逆に紹介先から見識を疑われかねないのかもしれないなんて想像もした。

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ふと気が付いたが、この病院の最終診療日である12月28日は、去年まさにこの日ここでカミさんの婦人科手術が行われた日でもあった。夫婦揃って病院の太ーい客だなと笑ったっけ。

あれからもう一年が過ぎたのか。どうにもつい数ヶ月前だったという感触しか湧かない。振り返ってみれば、昨年末から今年一杯はカミさんや私の入院手術から始まり、再びBCGの副作用に悩まされて終わった、我が家にとってまさに天中殺のような一年だったな。

結局のところ、まだ悲観したり覚悟を決めたりするには早過ぎたようだ。てんやわんやしたのは私の心の中だけだったのかもしれない。




準備と助走をしっかり

私が休職していた11月と週3日ペースの勤務とした12月、お店へ応援に来ていただいた薬剤師の先生方へ御礼を申し上げるために先週の土曜日と本日の休日にお店を訪れた。

土曜日の応援はK先生。見た目は私よりも年上に見えたのだが、職種は社員であるゼネラルクルーなのでまだ還暦未満だと思われる。訊けば、お住まいは埼玉県なのに、このお店の他に江戸川区の2店舗にも勤務しているという。皮肉にも臨時応援のこのお店が家から一番近いのだと。

K先生は勤務年数も長いと見え、医薬品の取り扱い品目構成の矛盾点などを的確に把握していて、それが私の現場実感との共通点も多く、話が通じる人なのだとすぐに分かった。また、本部のS先生同様に「我々も健康は最優先ですよ」と言っていただいた。

今日の月曜日は女性薬剤師のA先生。以前、店長からかなり話好きな先生と聞いていたが、はたして初対面から言葉のキャッチボールも順調に話が弾み、遂にはたまたま訪問して来た2社の女性ラウンダーも交えて家庭の話などで盛り上がった。

その軽妙な話し方は接客時にもほとんど変わる事なく、それが全てのお客さんに受け入れられるかは別にしても人懐こいオバちゃんというキャラ全開だった。彼女と一緒にお店へ立てる機会などがあれば、さぞや楽しい職場になるに違いない。

ともあれ、私はそういう先生方に助けられて復職に至ったのは事実である。お二人には心から感謝の気持ちを述べた。もしかしたらまたお世話になるかもしれないし。

そして以前から私の週2日の公休日に来てくれているT先生にも近々御礼を言いに行こうと思っている。T先生の存在があってこそお店の営業時間に対する薬剤師の勤務時間の条件が満たせているのだから。

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休職期間や今月の週3日勤務の機会に少しでも心身のリフレッシュをしようと計画した一年数ヶ月ぶりの温泉ドライブ旅行も、結局痛みの完全解消が得られなかったため頓挫した。

それでもここへ来てようやく歩行や長時間運転席に座っても強い痛みが生じないまでに回復出来たせめてものお祝いに、カミさんの休日と合わせてちょっとリッチな食事でもしようとなった。

ちょっとリッチと言うなら答えは一つ。行く度にリピートしたいと思わせてくれる四ツ谷のミクニに決まりである。もちろんディナーはリッチ過ぎるのでランチを予約。それでも料金が去年より何気に上がっているみたいだわ。

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それと、復帰にあたり顔の印象を和らげるために今年から眼鏡市場で作っているメガネを一つ追加した。

前職の頃から仕事場ではとにかく真面目さ誠実さを前面に出すために淡いゴールドのスクエアフレームをかけていたが、直接お客さんとの接客を考えた場合、真面目さだけでは取っ付きづらく親近感も湧きづらいだろうと気付いたからである。

で、この際スクエアをやめてオーバル型のややカジュアルに振ったフレームにしようと決めたのだった。今年3つ目のメガネ作成だが、そこが眼鏡市場の良いところ、せいぜい@2諭吉チョイで作れるから気が楽だ。以前は普通でも6〜7諭吉、最高値の時は15諭吉なんて時もあったから、それに比べればなんと作りやすくなった事か。

さあ、今月でしっかり準備を整え助走をつけて新年からはフルスロットルで頑張るぞ〜‼️



これでやっと

休職明けでも残っていたシクシクジンジンは、ここ数日でかなり回復に向かっているのがはっきり感じられる。一昨日、昨日の2日連続勤務中も排尿後のシクシク程度で、ようやくこれまでよりも楽に仕事が出来るようになった。

今日の外来でもT先生は「だいぶしっかりと座れるようになりましたね」と言いつつ、かれこれ一年やってないCTと膀胱内視鏡を年明けに実施したいとも言うので、来週に予定されている尿細胞診の結果を聞いた時にでも日程を決める事にした。

今回は1月にTUR-Btを受け、その後遺症が癒えた4月に第1回のBCG膀注療法をスタートし、5月、6月、8月と副作用の程度を観察しながら計4回が終了した。だが、その1ヶ月後に強い痛みを伴う膀胱炎症状が悪化して、その後はBCG膀注療法を継続出来ずに3ヶ月が経ち、今日に至った訳である。

本来ならBCG膀注療法は週1回×6〜8回がワンクールだから、今回はインターバルを取りながらだいぶ慎重に進め、それでも前回同様の重度の慢性膀胱炎状態が発症してしまった。それでも前回の半分の回数だったので、苦しんだ期間も約半分の3ヶ月で済んだという事なのだろうか。

いずれにせよ、まだ残る頻尿及び排尿後開始時の痛みと排尿後の鈍痛も徐々に緩和されて来ているし、気休め程度であれ鎮痛薬も不要となったのは喜ばしい限りである。

さて、今回はこの状態がいつまで続くか。スクリーニングの尿細胞診で悪性細胞が見つかったらまたBCG膀注療法をやるしかないが、これでずっと悪性細胞が見つからないままという奇跡でも起きればなお喜ばしい。

それにしても、こう何度も苦しい思いとそれが解消された時の健康のありがたさを実感する事を繰り返していると、これが再発や転移のリスクを持つ「がん」という疾患を抱えた人間の生き方なのかもしれないとしみじみとする。

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東名高速のあおり運転事故で、危険運転致死傷罪などに問われた石橋和歩(26)の裁判員裁判で、横浜地裁は懲役23年の求刑に対し懲役18年の判決を言い渡した。争点となった危険運転致死傷罪の成立も認めた。

弁護側はおそらく控訴するだろうが、2人の被害者に殺害行為に等しい事をしでかして、なお求刑未満の18年の懲役とはどうにも合点がいかない。また、いつも求刑未満に処する裁判官の下らん慣例もほどほどにせいと言いたい。

そもそも車の運転とは「走る」「曲がる」「止まる」を行う行為なのだから、被告の一連の運転行為は危険運転致死罪と見て妥当だろう。たとえ法文に100%合致していない部分があったとしても、そう捉えるのが裁判員を含めた市民感情というモンだ。

ましてや、弁護人に言われて書いたであろう「お父さんとお母さんを死なせてしまって申し訳ないと思うけれど、この事故がなければ、彼女と結婚する予定でした。自分が支えていきたいので、この事故の事をお許しください」という全く自分勝手な謝罪文が、遺族や市民感情をさらに逆撫でした。

それらを踏まえての今日の判決。

でもね。懲役18年であれ、模範囚なら10年チョイで出て来られるどうにもならない不条理は如何ともしがたい。いっそ仕事人にでも始末を頼みたいというのが遺族の率直な感情ではないだろうか。

冥土の中村主水よ、あんたの出番だぜい。




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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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